Q.ひかりではどうして文字や算数を教えないのですか?楽器の演奏とか…「お勉強」や技術指導をしておかないと、小学校に行ってから困ることになるのではないでしょうか?
文字や数字は教えないどころか、個々にとって必要ならきちんと教えています。ただみんなを集め、机に向かわせて、一斉に「あ・い・う…」、「1・2・3…」と教えるのではなく、その発達上の臨界期(レディネス)に、生活(あそび)を通して教えています。子どもに興味も関心もなく、学ぶ必然性や準備状況がないのに、大人の側から一方的に一斉に与えていくことは望ましいことではありません。
年長になるころにはお買い物ごっこ、郵便屋さんごっこ、絵本つくり、紙芝居、ペープサートつくりなどが園のあちこちで始まります。特に新年を迎えるころにはカルタ、すごろく、年賀状など文字・数字に触れる機会が多くなります。こうした日常の生活の中で文字・数字を知るのは便利だ、仲間との交流に役立つ、知りたいとみずから興味を持ち、教えて欲しいと意欲を持つようになります。
国語の力、算数の力というものは文字を書けるとか、漢字を知っているとか、数の計算ができることと直接関係はありません。
もし力と言うなら、書く、計算する、演奏することより、感じる、話す、聞く、触れる、見る、表現するなど五感を通して直接的、具体的に体験すること、あるいはやってみたいと意欲をもつことのほうがはるかに大切です。
先ほどから「小学校に行ってから…」と言われましたが、幼稚園は決して小学校の下請けではありません。その準備期間でもありません。幼児期は幼児期として発達の課題があり、この時期を逃したら取り返しがつかないことがあるのです。いわば5歳には5歳の、3歳には3歳の課題があるのです。それは幼いから程度が低いもの、意味が薄いものではありません。この時期でなければできない教育をスポイルして、早く小学校へ進むことを画策すると、それは手抜き工事になり、後でツケを払うことになるかもしれません。
「知」について言えば、生活のなかにあふれる原初的な経験を豊かにするとか、身体ごとでモノの本質に触れていくことが、やがて始まる教科学習や論理的学習の基礎となるのです。工夫する、熱中する、集中する、創る、比べる、想像する…などは、幼児にとってかけがえのない知力そのものなのです。