園長 東 晴也
はじめに、今日は父の告別式にご参列いただきありがとうございます。
開式の前奏がベートーベンの「歓喜の歌」で、驚かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、これは生前の父のリクエストでした。苦しい闘病生活から解放され、天の御国で安らぐことは、父の喜びなのだと思いますし、それは私にとっても喜びです。
略歴に関しては、今年3月の幼稚園の文集『木洩れ陽』に喜代雄先生自身が、詳しすぎるものを執筆していましたので、それをそのまま全文(プログラムに)掲載しました。
入院している間の父は、ほとんど寝たきりでした。最初のS病院では、家族以外は面会できず、人と話すことが大好きだった父は、その制限された生活の中で、食事も摂れずに、どんどん絶望していくように見えましたので、いろんな人に相談し、川越にあるリハビリ病院に転院いたしました。そこでは、多くの方々に面会することができて、励まされて、元気になっていくものだと思っていましたが、父は一向に食事を摂れなかったのです。主治医からは「食事が摂れないので、リハビリはリスクとなり、できない」と言われました。さらに、心不全のあることがわかり、循環器の専門医のいるS病院に再び入院し、治療することになりました。
この時に、もうこれ以上辛い治療はしないで療養病院に行くという選択肢もありましたが、S病院の先生の励ましもあり、そこに一縷の希望を持って転院しましたが、そこでの入院生活はこれまでとは比較にならないほど、父にとって厳しく辛い日々となりました。あれだけ自由に動き回ることが好きだった父が、ベッドの上で動けなくなり、どんなに辛く、絶望的であったかと思います。結局、父は3月2日に入院した時から、病状の改善がほとんどみられないまま先週の土曜に、亡くなりました。
5月末に医師から、「(余命は)あと1週間です」とか「あと3日が峠です」と、何度か宣告されました。「どうせ近いうちに死ぬのなら、もう辛い治療は止めて、療養施設のようなところに行きたい」と主治医に要望しましたが、「それは出来ない」と却下されました。
人の人生を決めるのは医者ではない。本人や家族が決めてどこが悪いんだと思いました。結局、この主治医とは、その後も何度かぶつかりました。
医療のことがよくわからないので、医療ソーシャルワーカーをしている友人に娘役になってもらって、集中治療室に一緒に来てもらい、アドバイスをもらいました。どうすれば、父の意識のある内に、もう一度ひかり幼稚園に、一瞬でも戻ることができるのかということと、退院したいという父の願いを最優先に考えました。
その後も主治医に相談しお願いする度に断られ、「何か月も入院していても、少しも良くならないじゃないですか」と、私の本音が感情的に出てしまうこともありました。
結局、2人の看護師が味方になってくれて、主治医と交渉してくださり、ようやく退院の許可が出て、酸素や点滴の量を調整して、施設(ホスピス)に行くために少しずつ治療を減らし、退院する日を迎えることになりました。
重症のままの退院です。
S病院からの最初の提案は、救急車でサイレンを鳴らしながら一直線に施設に行くというものでした。でも、私が希望しているのは、あのひかり幼稚園にもう一度帰ることです。そのために、民間救急車を選び、救急救命士と看護師が同乗し、途中でもし父の心臓や呼吸が止まったら、そこで終わりという覚悟の下で 、ひかり幼稚園に向かいました。
ちょうど、お帰りの時間だったので、子どもたち、先生方、保護者の皆さんが、園庭の暑い中で待っていてくださって、最後に10分ぐらい、父は救急車の中から子どもたちのうたう「ひかりひかり」を聴いて、子どもたちや先生方から励ましの声を聞き、ストレッチャーの上から涙を流して、少しだけ手を振ってくれました。
私が十分なサポートができなかったなかで、何が何でも成し遂げたかったことが実現できた瞬間でした。
長い 4か月の入院生活の中で、忘れられないことがあります。
特に3月~5月、園の行事や財務のこと、子ども家庭庁や理事会関係など、簡単ではない仕事が続く中で、くたくたになって、夕方6時半過ぎに預かり保育の子どもたちと先生方を送り出してから、幼稚園を出て、面会終了時間ギリギリに、川越の病院に行った時です。
父の洗濯物を袋にまとめ、ベッドの横で小さな椅子に座って疲れ切っている私に、父がひと言、
「疲れただろう。もう帰って休め」
と言ってくれました。これは父の私に対する最後のいたわりでした。
また、違う日には、思うように体が動かない自分に対して、
「全て神さまに任せましょう」
と小さく呟いて、苦しい入院生活を耐えている姿は、信仰のあり方、生き方を見せられたような気がいたします。
最後に、父は自由人すぎて、色々と問題のある人でした。問題を指摘されてもおかしくない人でした。でも、なぜかそれをいつも笑って許してもらえる幸せな人でした。それを許せない人もこの中にいらっしゃるかもしれませんが、もう亡くなった人ですので、どうか許していただけたらと思います。父を許してあげることが、自分自身を許すことになり、きっと今より少し楽になる方がいらっしゃると思います。
私もその一人です。父のあまりに自己中心的に働く姿が許せない時が何度もありましたけど、もうその思いは全くなく、共に働けた喜びと感謝を感じながら、最後の時まで過ごせたことを皆さまと神様に感謝したいと思います。
どうもありがとうございました。(2026.7.30)
※この文章は、「東喜代雄 告別式」(7月18日幼稚園ホール)で語ったものを、主旨を変えずに園長日記用に少し訂正したものです。
*「『園長!』の写真日記」は、ひかり幼稚園在園児及びそのご家族を念頭に、その日にあった出来事を写真と共に振り返りつつ、執筆するものです。





