園長 東 晴也
「きよお先生のひかり幼稚園一時帰宅プロジェクト」のご報告です!
S病院の2回目の入院中に、ある医師から「(余命は)あと1週間……」と言われた時、このまま病院に任せきりにしていると絶対に後悔することになると直感しました。約4か月の入院生活で、「よくなったなあ」と思えたことが、ほぼ一度もないまま、体調が悪くなり続けていく中で、もう一刻の猶予もなく、どんな方法でなら喜代雄先生の願い(「退院して幼稚園に行きたい」)が実現できるのかをいよいよ真剣に模索しました。
主治医とはその件で何度も相談しましたが、いつも「許可できない」と突き返されました。心不全の重症患者を一時外出させる時のリスクは相当大きく、簡単なことではないと。「それとも退院して、自宅で点滴、酸素、痰の吸引、その他諸々の面倒をみられますか?集中治療室で、複数の看護師が24時間交替してやっていることをご自宅でできますか?」のようなことを言われ、兄弟や叔母に相談したけれども、「それは無理」と全員から言われました。
私は、この病院と医師の壁の前に、体と心が萎えていく感覚になりました。回復しそうにない喜代雄先生はこのままあのベッドの上で息を引き取る時を待つしかないのか……。私はある日、この時の苛立ちを集中治療室の父のベッドの横で、あるベテラン看護師にぶつけました。周囲の若い看護師が目を丸くして、私を凝視する中、そのベテラン看護師Sさんは、静かに私の思いを受け止めてくれました。この後、この看護師Sさん(看護師長)と入退院担当看護師Yさんが、私と父の願いの実現のために、医師と交渉し、具体案を考えてくださったのです。
それは、ひかり幼稚園に帰るためには、退院して施設(ホスピス)に移動するまでの間に立ち寄るしかないというものでした。しかも、「このことを実現するためにはいくつものリスクがあり、覚悟が必要ですけど、そのご覚悟はありますか?」とたずねられたのです。ベッドの上で高度な医療を受け続け、たくさんの医療機器やモニターに囲まれ、辛い治療を受けつつ、天井を見上げて死を待つだけの日々より、喜代雄先生ならたとえリスクがあったとしても、自分が人生をかけて築き上げたひかり幼稚園に帰ることができる可能性に賭けるはずだと、私は確信しました。
それから、何度も、看護師のSさんとYさんが、話し合う時間をとってくださって、どういう方法で、どういう施設へ、どういうタイミングで移動することができるのか。そのためにはどういう準備が必要なのかを考えてくださいました。
その後、心不全の患者の受け入れ可能なホスピスが内定し、その施設の看護師と病院の看護師と私とで何度か打ち合わせをし、主治医の退院に向けての治療計画が実施されていきました。
循環器系の入院患者が、点滴、酸素、その他もろもろの機器とチューブを体に付けたまま退院することの困難さを身にしみて感じながら、病院の主治医、同行して下さる看護師のYさん、受け入れ施設の医師と看護師、民間救急車の看護師と救急救命士、そしてひかり幼稚園。全てがOKしたタイミングで、喜代雄先生の命と意識がある中で、ひかりに帰ることができた奇跡の瞬間が上の写真です!本当に神さまに与えられたご褒美のような瞬間でした。
園庭に響く子どもたちのうたう「ひかりひかり」、きよお先生へ呼びかける子どもたちや先生方の声、それを救急車の中で聞き、(話せないのは分かっていたけれども)マイクを向けたら何かを話そうとして必死に口を動かすきよお先生。何を言おうとしていたかは、私には分かるような気がしました。
「ありがとう」と。
最後に、退院を許可して下さった病院の主治医の先生、ずっと私を支えてくださった看護師長のSさんと入退院担当看護師のYさん、暑い中待っていてくれた園児の皆さんと先生方、園庭にかけつけて下さった保護者の皆さま、祈っていて下さった沢山の方々へ。
本当にありがとうございました。(2027.7.28)
*「『園長!』の写真日記」は、ひかり幼稚園在園児及びそのご家族を念頭に、その日にあった出来事を写真と共に振り返りつつ、執筆するものです。





