園長 東 晴也
幼稚園の公式なサイトに私個人の学びの経過などを書いてよいものかとやや躊躇するのですが、あの夏の園長日記「園長、大学生になる」(8/30日付)を読んで下さった方々から、たくさんの励ましのお言葉をいただき本当に嬉しかったのと、やはりその後の経過までを述べることが一つの責任かと思いましたので、ご紹介させてください。
ひとことで言うと、
「大学のレポートを全て提出しました!」
以上、、、なのですが、この後、大学の先生方が、私のレポートを読んで評価して下さいます。コメントも書いて下さるのです!それでOKなら単位をいただけるようなのですが、もし「不可」だった場合は、今年度末までに再度レポートを書き直して提出してよいようなのです。不可だった場合にレポート再提出ありなんて、優しいですよね。
これからしばらく成績がつくかどうかドキドキしながら、待つことになりました。
そこで、今日は、今回のレポート課題の学びの中で、特に印象的だったことを1つご紹介させて下さい。造形表現のテキスト(註1)の中に、次の文章がありました。
「これまで固体内を中心とした 認知発達理論を取り上げましたが、ワロン(註2)が「情動は表象の扉を開く」と表現した“情動の役割”や子供を包む環境との関係性にも着目しながら、表現の発達について考えてみましょう。……
子どもの表現は、……視覚・聴覚・触覚などの情報の入力機能と音声・動作などの出力機能は、個体内だけで成熟するのではなく、受け手との相互作用によって育まれ、愛着関係と共に発達します。……この時期(生後12か月頃)に言葉を介した対話の構造の原型となる<自分・もの・相手>の三項関係が生まれ、他者の意図を理解する「心の理論」の基盤が形成されはじめると考えられています。またイメージは、愛着対象との身体接触とそこからの分離という情緒的な体験によって生成されると考えられています。愛着対象が心のなかに形成されることがイメージ化の始まりであり、表現に必要な諸機能も愛着対象に自分を重ねようとする模倣によってその発達が促進されます。このように、身体や情動レベルで通じ合う経験は表現の発達の基盤になります。」(註1)
この文章を読み、私は少なからず衝撃を受けました。私たちが常にいろんなことを「イメージ」する力の源は、愛着対象との情緒的な体験(身体接触と分離)によるということらしいのです。ご存じでしたか?幼児教育を学んだ方々は、知っていることなのかもしれませんが、私は知りませんでした。
つまり、私たちが日頃いろんなことをイメージしますね。「今晩はお蕎麦がいいかな、カレーがいいかな」などと。そのイメージの源泉は、乳児期の愛着対象との感情的な体験によるという考えなのです。イメージ・表象は、今、目の前にないものを想像する心(脳)の働きですね。これをもう少し広く考えて、イメージすることや想像すること、さらに思考することなど、目の前にはないことがらをイメージし、想像・思考する力は、愛着対象との関係がしっかりあって、そこからの分離という情緒的な体験があってこそ得られるという考え方です。つまり、私たちが日常的にイメージする、想像する、この力の源は、乳児期に愛情豊かに育ててくれた母親(父親)等との愛着関係があったからこそで、もし、それがなければ、私たちの日常のイメージする力はどうなっていたのでしょうか?
他者への想像力、あるいは思いやりのような精神的な力など、他者を配慮することが苦手な方がいらっしゃるとすれば、それはご本人の性格や努力以前に、乳児期の上記のような経験不足によると考えると、
「私はなんでこんなに他者への配慮、おもいやりがないのかな」と、必要以上に自分を責めることなく、乳児期の愛着関係が原因だったのかと考えられたなら、少し楽に生きられるのではと思うのです。私には、ちょっとショッキングなテキストでした。
ということを喜代雄先生に話したら、「そういう考えもあるということじゃない」のひと言で片づけられ、彼は立ち去っていくのでした。
長々とした、私の衝撃体験を最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(註1)『保育をひらく造形表現』槇英子著(萌文書林、2018)p65,66
(註2)H.ワロン 19~20Cフランスの精神科医、発達心理学者
*文章中の下線部は、出典にはなく、筆者によるものです。(2026.1.17)
*「『園長!』の写真日記」は、ひかり幼稚園在園児及びそのご家族を念頭に、その日にあった出来事を写真と共に振り返りつつ、執筆するものです。

