更新日時:04.10.21

ひかりのQ&A


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Q .通園バスは?

A. よほどの遠隔地でない以上は、ご期待に添うように努力します。お気軽にお申込みください。


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Q. ひかりは自由保育だそうですね。嫌いなことはしないで、好きなことばかり自由にやっていたら、経験は偏り、がまんができない「わがまま」な人間になるのではないでしょうか。人間はやはり嫌いなことでも、がんばらなければならない時もあるのだから、「自由」ばかりでは困ると思います。第一それでは学校に行ってから困ると思いますが・・・。

A. おっしゃる通りです。もっとも私たちは、ひかりは「自由保育」とは思っていません。むしろ「不自由保育」と思っているくらいです。子供社会といえどもやりたいことばかりが通るわけではなく、やりたくなくてもやらなければならないことがたくさんあります。

 そこで「自由」とは何かを考えてみましょう。日本では自由の概念が非常にあいまいです。私たちは自由は決して「放縦」や「勝手気まま」「やりたい放題」ではないと思っています。むしろ逆で、「他人を尊重する」とか「責任をもつ」とか「解放された柔軟なこころ」と思っています。あくまで「ルールの範囲内における随意の行為」(広辞林)なのです。

 私たちは、園はおとなのものでなく、フレーベルが「キンダーガルテン」と名付けたように、あくまで「子どもたちの庭」であるべきと思います。ですから園では、おとなの感覚や概念だけでこどもを動かしたり、規制したりするのでなく、まず子どもたちの生活がそこにあり、子どもたちが「生活を通して生活(人生)を学ぶ」場、つまり自己実現の場であってほしいと願っています。

 園で「仲良くしなさい」「約束を守りなさい」「親切にしなさい」・・・と言うだけでなく、彼らが「どうしたら仲良くできるか」「どうしたら楽しくなるか」など自分のからだごとで体験的に学んでいくことを見つめ続けています。「子どもはからだで考える」といわれますが、私たちはそんな彼らの内なる成長を、ある洞察をもってみつめています。

 彼らのすること、なすことにいちいち口をはさんで、禁止したり規制したり一斉に動かすのでなく、彼らが持つ能力のせいいっぱいのところで、みずから考え、判断(決定)し、行動する・・・つまり「自主性」の育ちを大事にしようとつとめています。教育基本法がその第一条(教育の目的)に、「個人の価値を尊び、自主的精神に充ちた人格を形成すること」とうたっていますが、それは幼児期にこそきちんと育てられているべきでしょう。

 「自由にする」ことは、子どもを「色メガネ」や、「先入観」や既成概念など、とらわれた目をもって見ないという意味でもあります。

 自由というなら、まずおとなが「他人の自由」も同時に認め、保育者のこころも自由で、生きいきと感動にあふれた主体的な心をもつことです。そのようになんといっても、人間の心こそが自由でなければなりません。

 「自分が自分の主人公になる」ことは、もとより大切なことです。いつもまわりに気がねばかりしていて、言うべきことやしたいことを主張も行動もできないのは悲しいことです。主張すべきは主張し、「イエス」、「ノー」をはっきり言える人になってほしいものです。

 このことは、決して「指導をひかえる」とか、「叱らない」とか、「しつけをしない」ことではありません。「いっちょ前の社会人」になる基礎、基本はしっかり身につけていくことは、至極当然のことです。


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Q. 給食はないのですか。子どもの偏食を直してほしいのですが。学校給食にもなれてほしいし・・・。

A. 幼児にとって、食事は楽しくいただくのでなければ、どうなに栄養価が高いものであっても、その効果はないといわれています。どんなにおいしそうでも、いやいやながら食べては何にもなりません。もちろんこれは好きなものだけを食べなさいというわけではありません。

 幼児期は食事の量も嗜好も、その食べるはやさも一様ではなくとても個人差が大きいのです。学校にいくと、みんなが同じ物を同じ量、同じ時間内に食べることになりますが、そうであればなおさらのこと、せめて幼児期ぐらい、この世で最も彼らについてよく知った人が、「愛情をもってつくる」ことができないでしょうか。子どもたちが、弁当をあけたとき歓声をあげ、こぼれるような笑顔を見せてくれるのをいつも見ていて、やはり「食事(食餌ではない)は、人格をつくる」のだと実感しています。

 スイスのポルトマンという学者は、「人間の新生児は、一年間の生理的早産児のようなものだ。」といっています。他の動物と違い、人間の赤ちゃんは親の手がかかります。それが当たり前で、「手塩にかけ」なければ育たないものです。

 子育てから手を抜くことが、子どもの自立をすすめるのでも、文化的なものでもありません。
 もっとも、偏食は園で矯正したり、給食の力をかりて直すものではなく、親それぞれが努力とセンスでなおしていくものと考えて下さい。

 もちろん私たちは、このごろ特に子どもたちが野菜や果物を食べず、小食で偏食がひどいのを気にかけています。園でどのような取り組みが可能か、どう指導したらよいか、いつも模索し行動しているところです。


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Q. ひかりでは、どうして文字や算数を教えないのですか。「お勉強」をやっておかないと、学校に行ってから遅れをとることになりませんか。

A. 文字や数は教えないどころか、個々にとって必要ならばちゃんと教えております。ただみんなを一斉に集め、机に向かわせて「あ・い・う・」「1・2・3・」と教えるのでなく、それぞれの興味や関心にしたがい、その発達上の臨海期に生活(あそび)を通して与えるようにしています。

 子どもたちが興味も関心もなく、学ぶ必然性も準備状況もないのに、おとなの側から一方的に、一様に与えていくことは、幼児にとって望ましいことではありません。私たちが子どもの教育にかける願いは、「生活を、生活で、生活へ」なのですが、これが自然の姿ではないでしょうか。つまりお買い物ごっこ、郵便屋ごっこ、絵本つくり、紙芝居つくりなど日常生活の中で、それを知ることの便利さや、友だちとの交流に必要なこと、などをからだごとで知っていくことです。

 そんなわけで、子どもの側に興味があり、教えてほしいを言ってきたり、教える必要のあるときには正確に、きちんと教えます。もっとも幼児には「書く」「演奏する」などより、「感じる」こと、さらに「話す」こと、「やってみたい」と思うこころが大切だといわれます。

 しかし、先程から「小学校で」「小学校に行ってから」とさかんに出てきますが、幼稚園は決して小学校の下請けや、小学校の準備をするところではありません。教育は積み重ねですから、結果はそうなるかもしれませんが、5歳には5歳の、3歳には3歳の人生があって、その上で次の段階があるのです。かけがえのない幼児期、この時期でなければできない人格の教育をスポイルして、早く小学生になろうとしては、手抜き工事になってしまい、あとでツケを払うことになるかも知れません。

 「知」についていえば、生活の中にあふれている原始的な直接体験を豊かにしてからだごと学んだことが、やがて始まる教化学習や理論の基礎となるのです。


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Q. ひかりでは、親もしょっちゅう園にでかけなければならないということですが、おとなまでしばりつけるなんて・・・・

A. なるほど園にはよくお母さんたちが集まっていますね。園で召集するのは、月1回なのですが。それも出欠をとったり、欠席の理由をきいたことは一回もありません。ひかり会としても、「できる人が、できるときに」を合言葉にしている位で、無理じいはないと思います。

 前述のように、園は「自主性の育ち」を重視するように、全ては自主的になされることに意味があります。クッキーつくり、パンつくり、みそつくり、人形つくり、バザーの小物つくり、クリスマスの飾りつくり・・・同好会のような活動、母の会の活動、係の活動・・・内容はいろいろですが、それらはほとんど直接的間接的に、われとわが子に還元されているもので、決して義務的で「やらされて」いるのではないと思います。

 むしろ、それらの活動を通して、友だちの輪が拡がりいつのまにか悩みごとを打ちあけたり、相談ごとを話しあったり、親戚以上の親しいつき合いをはじめている人をおお大ぜい知っております。

 ひかりは、子どもが育つところという以上に、「親が育つところ」といわれてきました。子どもの入園は、じつは親の入園でもあります。子どもが社会に向かって第一歩を刻むように、お母さんも、やがて子育てから離れ、第二、第三の人生を歩みはじめるための地歩を、ここで築いてくださいませ。

 とはいっても、熱心のあまり、家をあけすぎたり、子どもや家庭、なかんずくご主人さまに迷惑をかけるようではいけませんね。十分注意いたしましょう。


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Q. キリスト教の幼稚園なので制服が厳しいのかと思いましたが、パンフには希望者となっていました。

 当園に制服はありますが、着用を強制せず、日常は随意に由由に衣服を選んでいただいております。「毎日着用しないのなら不要ではないか」といわれそうですね。無駄のようにも感じますが、考え方としては、結婚式や葬儀のときに、いくら自由だといっても黒い服を着るように、制服も一番ふさわしいときに−番ふさわし衣服を選ぶことを大事にしています。つまり入園式、卒園式、美術館訪問、クリスマス、園の行事など、きょうは制服が一番ふさわしいと思うその日が、制服を着用する日です。
シェクスピアは「服装は人格を宣言する。」といっていますが、お仕着せでなく、自分でその日その日にふさわしい服装を選んでいくことを、一つの文化と考えています。ですから日頃は普段着で結構です。しかしそれは制服を着てはならないということではなくて、季節的に暑すぎず、寒すぎなければ、毎日着用してももちろん結構です。一律に「ねばならない」というような強制はしていません。
制服は皆さんが購入しています。刺繍を施したり、アップリケ等でマークをつけたり、子ども自身にとってはとても大切なもののようです。ある人は「嫁入りのときの大切な記念品」といっています。