狭山ひかり幼稚園によくお問い合わせのある項目をまとめてみました。
まずはこちらを参考にして頂き、わからないことがあればお気軽にご連絡下さい。
当園スタッフがご丁寧に分かりやすくご説明をさせていただきます。

よくある質問

以下の項目をクリックしていただくと、質問の答えが表示されます。

  • ひかり幼稚園には通園バスはありますか?
    • 小さいですがあります。これまでひかり幼稚園では「徒歩通園」を原則としてきました。狭山・入間の私立幼稚園19園で通園バスがないのは、ひかり幼稚園だけになりました。人は「どこに行くにも自分の足で歩く」のが基本で自然だからです。それは心と体を作る上では大事なことです。何よりひかり幼稚園がこだわってきた「少人数で家庭的、温かくてこころの拠り所になる幼稚園」を築くためにはバスを運行すると人数が増えすぎる心配がありました。

      しかし時代が変わり、社会的・家庭的に徒歩通園は無理になってきました。数年前から「ひかりには通いたいが足がない」と不便を訴えていた人々のために、地域を限定してマイクロバスを出すようになり、さらに2004年度からは地域を拡大して、なるべくご期待に沿う方向でバスを走らせることに致しました。

      私たちの心配は、子どもを毎朝バスで送り出して、あとは他人任せにして、幼稚園の営みに背を向けてしまう人が増えはしないかということでした。しかしバス通園の人も真剣に保育に参画し、協力的なので安心しています。ひかりの園バスは、お母さんサポートの一面もあります。

      通園バスを使用したい人は、まずお気軽にご相談ください。

  • 給食はないのですか?
    • 給食はないのですか?子どもの偏食を直して欲しいし、学校給食にもなれて欲しいんです。毎日忙しいときに弁当を作るのは大変です。

      A. お気持ちはよく分かります。よく「食事が人格を作る」と言われますが、食事は人格と身体の形成に極めて重要な役割を果たします。この重要性をどのように受け止め、実行するかが幼児教育の課題の一つです。

      食事はまず楽しく団欒の中で取らなければ身に付かないという研究があります。いやいやながら食べては何にもなりません。もちろんこれは好きなものだけ食べなさいと言うのではありません。

      幼児期の食事は、その分量も嗜好もスピードも全然違います。個人差が大きいのです。学校に行ったら否が応でも一斉に同じものを同じ時間内に食べることになりますから、せめて幼児期くらい子どものことをよく知り世界で一番愛している人が、子どもに合った分量と好みに合わせて作れないでしょうか。今日1割余の子どもが何らかのアレルギーを持っています。給食ではこれに対応できない場合があります。人命に関わる問題でもあります。好み、分量にしても実際に給食の食べ残しを見ると結構な量になっています。もったいないなあと思います。

      食の世界はいま添加物、防腐剤、食品偽装表示、残留農薬、環境ホルモン、遺伝子組み換え食品、アレルギー物質などが次々に問題になっています。食のあり方は危機的状況だと言われます。近来行政においては民間委託が進んでいます。絶対に安全でしょうか。かけがえのない成長真っ盛りの子どもには親の愛情たっぷりの食事を与えたいものです。弁当は何より安く出来ます。

      偏食は園で矯正したり、給食の力を借りて直すものではなく、それぞれが智恵を絞って個々に対応していくものと思ってください。

      そうはいっても私たちは子どもの偏食や食べず嫌いがとても気になっています。そこで毎月「みんなで食べる日」を設定し、同じ物を食べたり、園で収穫したものをみんなで食べるなど模索しています。

      さらに申し上げます。園は以上のような考えで弁当を続けてきました。しかし現実には就業する人、乳児や介護の必要な老人、病人を抱えている人、など弁当作りが負担になっている人があるのも事実です。

      近年文部科学省、厚生労働省を中心に「食育」の重要性が叫ばれています。殊に放射能被害が憂慮される中でどのように子どもの健康を守っていくか、またお母さんたちの不安を取り除く必要も感じています。

      7月末文科省が後援するあるNPOの会合に出かけてきました。中心テーマは「放射能被害からどのように子どもを守るか」でしたが、そこで病院における給食を担っている会社に出会い食事の内容を拝見しました。その会社は管理栄養士、栄養士のもとで安全な食品によって、園内で調理するシステムをとっています。暖かいものは暖かく、冷たいものは冷たく、見える食材によって、出来立ての食事を供するというのです。しかも容器は弁当箱ではなく陶器のお椀や皿を使います。

      会社のスタッフを園に迎え話を聞いてみました。職員会もこの件について数回検討しました。いまは給食の回数、費用、設備などのハードルがあってまだ結論は出ていません。「検討中」であることだけをお知らせしておきたいと思います。

  • ひかりは「自由保育」だそうですね。「自由」ばかりでは困りませんか?
    • おっしゃる通りです。もっとも私たちはひかり幼稚園が「自由保育」とは思っていません。

      まず「自由保育」とは何でしょうか。「午前中お集まりをしない」(午前中は遊びだけ)のが自由保育でしょうか。反対に午前中に「一斉に同一の課題を与える」のが一斉保育でしょうか。…そんなレベルで保育を論じてはいけません。

      「自由保育」とは幼稚園教育要領にも、その指導書にもどこにも書いてありません。多分に子どもを管理することが重要だと考えている人々が、「子どもの自発性を大切にする保育」を軽蔑した表現として使っているようです。

      いま「自由」とは何かを考えてみましょう。日本ではその概念がとてもあいまいです。決して「やりたい放題」「勝手気まま」「わがまま放題」「放縦」ではありません。日本国憲法が謳うように「自由」こそ、人間社会の基本概念です。思想および良心の自由、信教の自由、集会、結社および表現の自由、学問の自由・・・というように基本的人権の一つです。

      憲法を持ち出すまでもなく、保育における自由とは、幼児個々が人間として尊ばれ、そのままの姿で尊重されること、解放された柔軟なこころと、公共のために言うことすることに責任を持つこと、個々の自発性が大切にされることなどを意味します。あくまでも「ルールの範囲内における随意の行動」(広辞苑)なのです。

      ひかり幼稚園は理事長、園長のものでなく、もちろん教員のものでもありません。これは子どものものと考えています。幼稚園の創始者フレーベルが「キンダーガルテン」と名付けたように、これは「子どもの花園」「子どもに開かれた安全な世界」なのです。

      ですから大人の感覚や概念で子どもを調教し、ロボットのように動かし、教師が主体者になって管理するのであってはなりません。まず子どもの生活があって、そのさりげない生活の中で人生を学ぶ、生活を学ぶ、つまり幼児の自己実現の場なのです。私たちはこのことを「生活で、生活を、生活へ」と呼んでいます。

      口で「仲良くしなさい」「約束を守りなさい」「親切にしてあげなさい」と言うだけでなく、彼らがどうしたら仲良くできるか、どうしたら楽しくなるのか、自分をどう調整すればいいかを、人とぶつかりあって、泣いたり、喜んだりしながら身体ごとで体験的、具体的に学んでいくのです。

      私たちは彼らが生まれながらに持つ「自分で考え、自分で判断し、選び、決定し、行動し、自分を統制し、調整する能力」(自主性)の育ちを大切にし、彼らの思いに寄り添いつつ、一人前の人間になることを念願しています。幼児期にはそうした生活の中で失敗や挫折、成功や達成など、試行錯誤、葛藤体験が非常に大事なのです。
      「教育基本法」が、その第1条(教育の目的)で、「個人の価値を尊び、自主的精神に充ちた人格を形成すること」を教育の目的と掲げていますが、この「自主性の育ち」こそ幼児期にきちっと育てられているべきことです。
      「自由にする」ということは、子どもを「色眼鏡」や「先入観」や既成概念など、とらわれた目で見ないということでもあります。子どもを透明なまなこで観ることは幼児の教育においては極めて重要なことだからです。
      また「自由」というなら、「他人の自由」をも認めるということです。
      さらに子どもだけでなく、保育者も、保護者も、理事も生き生きとした自由なこころを持っていることが大切です。言いたくてもいえない、周りに気兼ねばかり、言えないから忍従するでは困ります。自由とは「自分が自分の主人公になる」ということです。

      これらのことは「指導を控える」とか、「叱らない」とか「しつけをしない」ということでは絶対ありません。むしろ大切なしつけだと考えます。口先だけの指示命令で、あたりを気にしながら自分を抑制する(人が見ていなければする。バレなければよい)ということでなく、幼児の紆余曲折の生活を通して、生きる力、人生の智恵を全身で獲得していくことを大切にする取り組みなのです。

  • 自由さを大切にすることと少人数制は関係があるのですか?
    • いい質問ですね。大ありです。子どもの自発性を尊び、自由さを大切にすることは、幼児一人一人に目が向けられ配慮が行き届いている必要があります。

      大人数ですと、子どもを一斉に動かし、教師主導で管理的な保育を進めるのは可能ですが、一人一人の育ちに合わせる保育は難しくなります。大人もそうですが、子どもはそれぞれに生活環境が違い、性格が違い、興味関心が違い、発達上の課題も違うのです。

      例えば室内遊びだけしかしないとか、特定の人としか遊べないとか、感情表現がうまくできないとか、すぐに泣くとか…、人それぞれです。それらの課題に寄り添うためには、職員が保育観を共有し、情報を共有し、個々についての研究協議がなされ、しかもチームで取り組むのですから、かなりの時間と教員の人数が確保されていなければなりません。私の体験では園児数は100名から120名くらいがいいところと考えています。

      子どもの名前も、性格も、保護者の顔も、家庭の背景も、個々の課題も確認しないまま子どもを園に迎えても保育は成立しません。幼児が生き生きと園生活を送り、感動と喜びをもって生活するためにはこのくらいの規模が最善です。

      さらに教育は、人間によって進められる訳ですから、相応の経験、見識、技術、さらにいい人柄、性格を持った職員集団でなければなりません。幸いひかり幼稚園は経験年数においてバランスが取れており、とくに全職員が共通の保育理念と聖書信仰を持っています。祈りと奉仕の中で保育が進められていることは嬉しいことです。

  • ひかりではどうして文字や算数を教えないのですか?
    • Q.ひかりではどうして文字や算数を教えないのですか?楽器の演奏とか…「お勉強」や技術指導をしておかないと、小学校に行ってから困ることになるのではないでしょうか?

      文字や数字は教えないどころか、個々にとって必要ならきちんと教えています。ただみんなを集め、机に向かわせて、一斉に「あ・い・う…」、「1・2・3…」と教えるのではなく、その発達上の臨界期(レディネス)に、生活(あそび)を通して教えています。子どもに興味も関心もなく、学ぶ必然性や準備状況がないのに、大人の側から一方的に一斉に与えていくことは望ましいことではありません。

      年長になるころにはお買い物ごっこ、郵便屋さんごっこ、絵本つくり、紙芝居、ペープサートつくりなどが園のあちこちで始まります。特に新年を迎えるころにはカルタ、すごろく、年賀状など文字・数字に触れる機会が多くなります。こうした日常の生活の中で文字・数字を知るのは便利だ、仲間との交流に役立つ、知りたいとみずから興味を持ち、教えて欲しいと意欲を持つようになります。

      国語の力、算数の力というものは文字を書けるとか、漢字を知っているとか、数の計算ができることと直接関係はありません。

      もし力と言うなら、書く、計算する、演奏することより、感じる、話す、聞く、触れる、見る、表現するなど五感を通して直接的、具体的に体験すること、あるいはやってみたいと意欲をもつことのほうがはるかに大切です。

      先ほどから「小学校に行ってから…」と言われましたが、幼稚園は決して小学校の下請けではありません。その準備期間でもありません。幼児期は幼児期として発達の課題があり、この時期を逃したら取り返しがつかないことがあるのです。いわば5歳には5歳の、3歳には3歳の課題があるのです。それは幼いから程度が低いもの、意味が薄いものではありません。この時期でなければできない教育をスポイルして、早く小学校へ進むことを画策すると、それは手抜き工事になり、後でツケを払うことになるかもしれません。

      「知」について言えば、生活のなかにあふれる原初的な経験を豊かにするとか、身体ごとでモノの本質に触れていくことが、やがて始まる教科学習や論理的学習の基礎となるのです。工夫する、熱中する、集中する、創る、比べる、想像する…などは、幼児にとってかけがえのない知力そのものなのです。

  • とてもいそがしいと聞きましたが…?
    • Q.ひかりはとても忙しいところと聞きました。親がしょっちゅう出掛けなければならないそうですが本当ですか? 子どもの教育に大人まで縛り付けるとはどういうことですか?

      なるほど園にはお母さんたちがよく集まっていますね。ひかりは「開かれた幼稚園」「地域のセンター」「井戸端会議の出会いの場」を目指しています。育児はいまや家庭だけ、親だけで背負いきれるものではありません。子どもはみんなの子、地域の子、社会の子として、みんなで育て合う、育ち合うものだと考えています。些細なことでも気楽に相談でき、支えあうことができる生涯学習の原点でありたいのです。子どもが育つ、園も育つ、親も育つ、家庭も育つ、町も育つ…これが私たちの理想です。ひかり幼稚園の月謝は子どもの保育料だけでなく、「親の育ち料」も入っていると考えてください。
      今になって行政は「男女共同参画社会」などといっていますが、ひかりでは創立依頼ずっと、それを目指し、実践しています。

      しかしそれもいやいやながら、仕方なしにやるようではいけません。ひかりの教育は前述のように「自主的にやる」ことです。参加できるから威張るとか、参加していないから肩身が狭いというのではいけません。自分が自分らしく、自分を発揮すればそれでいいのです。ひかり会ではいつの間にか「できる人が、できるときに、できることを」という合言葉が生まれました。これが言えるのは私たちの誇りです。

      ひかり会の活動には文集、同窓、卒園、世話係、プチ文庫、美化園芸などの活動と、オーナメント作り、講演会などの具体的な活動があります。
      この他コーラス、リコーダー、絵本つくり、聖書を読む、お話しの輪、手仕事部、手作り絵本の会、などいくつかの同好会があります。
      これらは幼稚園のお手伝いというより、みずからの成長と我が子の成長のための活動です。自分と我が子にかえってくる営みです。
      他の幼稚園では「特定の役員さんが、保護者会の仕事を全部やる」ことでしのいでいるようですが、ひかりでは「みんなで手分けをしてやる」方式をとっています。
      これらの活動を通して友だちの輪が広がり、いつの間にか悩み事を打ち明けたり、相談事を話し合ったり、親戚以上の親しい付き合いをしている人を大勢知っています。なにより我が子だけでなく、「共に育ち合う」人間関係は一生にわたる財産になるでしょう。

      といっても熱心になるあまり、家を空け過ぎて子どもや家庭に迷惑をかけるようではいけませんね。充分注意いたしましょう。